2026.10.10 日本経済新聞の記事「(漢字そぞろ歩き):宦官・科挙・纏足はなぜ日本に来なかったか」から
生活環境や慣習、階級社会の構造などの違い
コラムの著者 阿辻 哲次(漢字学者) 氏が注目しているのは、宦官・科挙・纏足が日本に来なかった理由について考察している。そこには、中国の文化、生活環境、慣習と階級社会の構造と日本との違いがあるという。
◯宦官・科挙・纏足は中国の社会と歴史に影響を与えた
阿辻氏は、宦官・科挙・纏足が日本に来なかった理由について考察している:
- 宦官:中国の後宮で雑多な業務に従事する官吏で、皇帝が皇后や側近たちと暮らす「私宅」に勤務することから、去勢を施した男性がその職に充てられた。もともと、遊牧社会を含む中国では、家畜を管理するためにオスの生殖能力を除去する去勢は社会や生活の基本技術であった。それを人間に施したのが宦官である。一方、日本では牧畜社会ではない朝廷や幕府は、人間に去勢を施すことなど考えもせず、「大奥」の雑務を女性に担当させた。
- 科挙:「人類史上最も難しい試験」と言われる科挙は、6世紀の中国王朝、隋の時代に始まり、元時代の短期の中断を挟んで、清王朝1905年まで実施されてきたという。隋を建国した楊堅は、有力貴族が持つ特権を奪うために、試験によって能力の優れた人物を選んで官僚に登用する「科挙」を始めた。「科挙」とは「科(領域)」ごとに人材を「挙」げるという意味であった。科挙は中国から周辺諸国に広がり、朝鮮半島では新羅と高麗が導入し、李氏朝鮮も1392年から1894年まで約500年にわたって科挙を実施した。ベトナムでも11世紀の李朝時から科挙が始まり、1919年まで実施された。だが、日本では律令時代には官吏登用制度を設けたが、家柄を誇る上級貴族には浸透せず、10世紀から摂関政治、その後武士の台頭で武家政権が江戸時代末期まで続いた。
- 纏足:5歳前後の女児の足指を内側に曲げてきつく縛り、足の成長を止めてしまう残酷な習慣である。宋王朝時代からこの残酷な習慣が富裕層を中心に流行し始めると、小さな足が良縁の条件とされ、纏足が庶民まで広がった。だが、中華民国時代にはすでに旧社会の残滓と認識され、今は完全に消滅している。このような忌まわしい習慣は日本には伝わらなかった。
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