【ヒット商品のネタ出しの会】 日本経済新聞の記事「(漢字そぞろ歩き) 処」から

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2026.9.12  日本経済新聞の記事「(漢字そぞろ歩き) 処」から

皇帝が焼売屋に与えた名前

コラムの著者 阿辻 哲次(漢字学者) 氏が注目したの、「処」に関連する逸話を紹介している。

◯北京の都での話

阿辻氏によれば、皇帝は基本的に宮殿の中にいるが、庶民の暮らしぶりなどを把握することも重要な仕事であるため、時々は街の視察に行く必要があるという。いわゆる「お忍び視察」である。清朝の黄金時代を現出した「文人皇帝」乾隆帝は、街中の暮らしを視察することにも熱心で、しばしば側近の宦官だけを連れて、お忍び視察をしたという。

現代の北京にある天安門の南側には1954年に作られた広大な広場があるが、乾隆帝の時代には役所が集中した官庁街であった。その中の真南に進んだところに巨大な「正陽門」がある。「易経」(説卦伝)に「聖人は南面して天下を聴く」とあり、皇帝は南に向いて坐ったから、宮殿から真南の方向にある「正陽門」はまさに北京の正面玄関であった。「正陽門」の門前である「前門」は交通の要衝で、多くの人が行き交う北京屈指の繁華街であった。

かつて「前門」あたりに、王瑞福という老人が、ごく小さな居酒屋を営んでいたという。乾隆17年(1752年)大晦日のこと、乾隆帝が北京南東地域の視察を終えて宮殿に戻る途中、どこかで食事でもと思ったが、大晦日の夜で、どの店もすでに閉まっていた。

そんな中で王瑞福の居酒屋だけが開いていた。やれやれと乾隆帝のお忍び一行が店に入ると、店の応対は申し分なく、料理も何品か食べると、これが実に美味しかったという。喜んだ一行が店主に店名を尋ねると、まだまともな名前はないとの返事であった。そこで一般人に扮した乾隆帝は「大晦日遅くまで営業しているのは首都でもここだけだから『都一處』とするが良い」と提案したという。

すれから数日経ったある日、宮殿から数名の役人が王瑞福の居酒屋に大きな額を運んできた。先日の大晦日に「聖上(天子、皇帝)」がここで食事をされた時のもてなしと食事が素晴らしかったので、店名「都一處」を記した額をと報奨金を賜うと告げたという。王瑞福は心から驚き、宮殿に向かった跪いて礼を言い、額を店に掲げると、それから大入満員の盛況が続いたという。この店名の「都一處」の「處」は「処」の旧字体で、お食事処などの「ところ」という名詞に使われている。また、「処世術」では「処」は動詞として世に処(お)る術、身を置くとして使われている。🍽️🍶🧑‍⚕️👦👩🤝👨💡👦👧💰📓🗺️🚢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍🇨🇳

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