2025.12.6 日本経済新聞の記事「(漢字そぞろ歩き) 蒲鉾:弥次喜多が喜んだ『しらいた』」から
十返舎一九「東海道中膝栗毛」でも大人気
コラムの著者 阿辻 哲次氏(漢字学者)によれば、かまぼこを漢字で「蒲鉾」と書くのは大きく2説あるという。魚のすり身を細い竹棒に巻き付けて焼いた形が水辺に生えたガマの穂に似ており、そこから「蒲穂子」と呼ばれたとする説。もう1つは、棒の先端に魚肉を巻き付けた形が武器の「鉾(ほこ)」に似ていることからという説であるという。
◯関白が宴席料理で使う高級品
阿辻氏によれば、何れにせよ、もともとカマボコは竹輪と同様、はじめは板の上に乗っているいなかったという。阿辻氏は、幼少の頃、おせち料理で華やかなカマボコ以外は苦手だったようで、思いが結構あるようである。
物流のインフラストラクチャや冷蔵・冷凍技術が未発達だった時代には、鮮魚の保存は困難で、新鮮な魚を食べることはできなかった。だがすり身にしたり魚肉を蒸したり焼いたりするカマボコであれば、いつでもどこでも食べられるので、それは貴重な食品であったという。
平安時代後期に摂政や関白が暮らした寝殿造の建築や調度、またそこで開催された行事を記した「類聚雑要抄」に「蒲鉾」が登場するという。同書巻一に、永久3年(1115年)7月21日に関白右大臣の藤原忠実が平安京左京三条の東三条殿で開いた宴に記録があり、描かれた丸膳の上に「蒲鉾」が載っているという。これが確認できる最古のカマボコであることから、「日本かまぼこ協会」がその西暦年から11月15日を「かまぼこの日」と定めた。
最初は関白の宴で使うほどの高級品であったが、やがて江戸時代後期になると東海道中膝栗毛に登場したり、芝居の幕間の「幕内弁当」の定番となった。その当時は江戸では蒸したすり身を焼く方式で、上方では蒸したすり身の板が焼けない「すらいた」であったという。戸塚の宿で弥次さん、喜多さんが出会ったのはしらいたで珍しく喜んだという。🗻🐟🍱🧑⚕️👦👶🏫💬👩🤝❤️👦👧💰📓🗺️🚢🩺💉🏢⚡️🎓👔⏰🔧💻🖥📻🖋🌏💡🔎🌍🇯🇵
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